プロフィール
安富祖貴子(アフソタカコ) (ボーカル)
■沖縄県金武町字伊芸(イゲイ)に生まれる。
■4才よりクラシック・ピアノを習い始める。高校卒業後上京、尚美学園音楽短期大学入学、音楽学科ピアノ科でクラシックを専門的に学ぶ。
■同校卒業後、沖縄に戻り音楽アカデミーに所属しピアノ講師をつとめるかたわら、沖縄有数のリゾート・ホテルのラウンジで弾き語りの演奏活動を始める。そんな折、ペルーからの来日直後のハイメ新垣(アラガキ)(ディアマンテスのリーダー、ヴォーカル、アルベルトの従弟)と出会う。ハイメとの共演によりペルーを始めとするラテン音楽、洋楽系スタンダード、沖縄ソング等、レパートリーも拡がり、R&Bヴォーカルの唱法の魅力をより学んでゆく。
■1994年6月その想いを更に進め、ハイメ新垣と2人で”アレナ”を結成、沖縄県内外でのリゾート・ホテルのラウンジ、各種イベント、また沖縄市の著名ライヴ・ハウス”パティ”や”モッズ”で活動を続ける。
■”アレナ”の活動として2000年3月〜2001年3月、沖縄市主催による子供たち70名余が参加するミュージカル「あしびなーキッズ」の演出、舞台監督をつとめる。2000年5月には琉球大学の声楽博士、服部洋一先生がプロデューサーとなった、台湾の「精神復興平和文化祭」にて約500人が歌い踊るゴスペルの楽曲アレンジを担当、また日本から訪れたアルベルトと共演した。聴衆は2万人を集めた。 ”アレナ”ではこの他、先の服部洋一氏の作詞作曲による「Body&Beauty」をレコーディング、同名の下着メーカーのプロモーション・ビデオの音楽アレンジを手掛けると共に、同曲がそのイメージ・ソングとして使用された。
■2000年10月には、世界遺産に登録された勝連城跡にて平田太一プロデュースにより行われた「肝高(キムタカ)文化祭り」にて、組踊り「肝高の阿摩和利」にキーボード、コーラスで参加。2001年6〜9月には同じ勝連城跡を舞台に全て生演奏で行なったミュージカル、あまわり浪漫シリーズ「かっちんカナー」の音楽監督として、子供たちの”肝高バンド”の総指揮をとると共に同町で発売したCD「あまわり浪漫」の制作プロデュースを担当。またヴォイス・トレーナーとしても、沖縄で人気の女性3人組のポップ・コーラス・グループ”ルビエス”やラテン・ロック・グループ”カチンバ”の女性ヴォーカリストのヴォイス・トレーニングを担当した。
■2000年12月、沖縄No.1ラテン・ロック・バンド”ディアマンテス”にキーボード、バック・ヴォーカリストとして加入。数々のライヴの他、CD「リブレ」「アデランテ」「ビエントス」の3作品に参加。
■2002年10月、2003年3月、元”E-ZEE BAND”、現在では人気グループ”D-51”のプロデューサーとしてよく知られる生熊朗のCD「Sharing The Love」に参加。
■2004年1月より再びソロの音楽活動を始める中、県内一のリゾート・ホテル”ブセナ・ホテル”のラウンジのレギュラーとして、アメリカでジャズ修業をして帰国したばかりのギタリスト、知念嘉哉とコンビを組むようになりジャズ・スタンダードにも手を染める。
■2005年3月、その歌唱力、フレイジングに目をとめたM&Iレーベルからジャズ・ヴォーカリストとしての道を提案され、その時点ですすめられて聴いたニーナ・シモン及ビリー・ホリデイの「レディ・イン・サテン」に衝撃を受ける。早速に上京、都内のジャズ・ライヴ・ハウスを見学、ジャズに完全に魅了され、相棒のギタリスト知念が師事を受けていた帰国直後のベーシスト井上陽介に出会い、針路を定める。夢として培ってきたR&Bヴォーカルの魅力をあわせもつ新しいタイプのジャズ・ヴォーカリストを目指し、ジャズ・フィールドでの活動を誓う。
■2006年3月、ファースト・アルバム「魂/Kon」を発売。シング・ジャーナル誌選定ゴールド・ディスクを獲得。
同誌選定の2006年「ジャズディスク大賞」において<制作企画賞><ニュースター賞>、さらにADLIB誌選定<2006国内ニュースター賞>と、栄光ある受賞を果たした。
■2007年2月、グレイドアップした第2作「マブイのうた」を発売。リリース記念LIVEツアーを行う。
■2008年6月、待望のニューヨーク録音「ハレルヤ〜サマー・オブ'86〜 」を発売。