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なじみのある曲が多いと思いますが、スタンダードでは自分なりの色をつけることに意を払いました。

 初リーダー・アルバムが発売されますが感想はいかがですか。

 特別にないですね。私にとってはプロ・ミュージシャンとしての一つの印を残したという感じです。米国のコンペティションで優勝したときも学生だったのでCDはまだ早いかなと思っていました。
これまで、ドミニク・ファリナッチやジュリアード・ジャズ・オールスターズでレコーディングに参加したことはありますが、PONY CANYONさんからリーダー・アルバムのオファーをいただいたのでやってみることにしました。

 

 新譜のレコーディング・メンバーはジュリアードの先輩、先生ですね。「ジュリアード・ジャズ・オールスターズ」で共演済みですね。どのようなミュージシャンですか、紹介してください。

 中村恭士さんは、バークリーの時から一緒でジュリアードは私より1年先輩です。当時から学内では有名な方でしたが友人になりセッションを始めすばらしいミュージシャンだと思いました。ベースでは彼以上の人を私は知りませんね。プライベートでも仲がいいです。

カール・アレンは10年程前にNHKの番組に出演しました。たしか、スペシャル・ニューヨーク・クインテットでしたか、その演奏を聞いてすごい人だと思いました。
彼は、フレディー・ハバードやジャッキー・マクリーンなどモダンジャズの巨人とも共演していたミュージシャンでいつか一緒に演奏をできたらいいなと漠然と思っていました。
ジュリアードに入って授業を受けたり、間近で演奏を見せてくれたり、オールスターズで一緒に演奏をさせてもらったり、色々アドバイスをしてくれるなど精神的にも大きな支えになってくれました。一番心に残っているのは「失敗を恐れるな」ということですね。
音楽への情熱を見せ付けられたことも印象に残っています。

 オリジナルとスタンダード、ジャズメン・オリジナルが半々で丁度いいバランスですね。選曲はどのようにしたのですか。

 なじみのある曲が多いと思いますが、スタンダードでは自分なりの色をつけることに意を払いました。例えば、“ローズルーム”という曲ではコード進行を変えたりしています。
今後ミュージシャンとして成長するとともに色も変わっていくと思います。
“シークレット・ラヴ”“ブルース・フォー・タイナー”“ポートレート・オブ・フレディ”“ルビー・マイ・ディア”などはアメリカにいる時から演奏していた曲です。

マッコイはピアニストなら一度は影響を受ける偉大なピアニストだと思います。

 “ブルース・フォー・タイナー”はマッコイに捧げた曲ですか。マッコイのどのようなところがすばらしいと思っていますか。

 マッコイはピアニストなら一度は影響を受ける偉大なピアニストだと思います。ソロのアプローチのしかたが違うんですね。ビ・バップの人達とは違うものを持っていると思いました。あの有名なジョン・コルトレーン・カルテットでのレギュラー・ピアニストとしての存在感を示すすばらしい演奏に圧倒されました。
年齢を重ねてもあの情熱とパワーは変わらないと思います。

 

  “ポートレート・オブ・フレディ”は誰に捧げた曲ですか。フレディー・ハバードではなさそうですが。

 フレディー・レッドです。作曲が上手いですね。「Shades of Redd」の“Thespian”は好きです。ピアノもブルース一発みたいでかっこいいですね。

 

 他のミュージシャンで影響を受けた人は誰ですか。

 高校生のときはハンプトン・ホースに影響を受けました。ジャズピアニストであった母が薦めてくれたのです。フィニアス・ニューボーンも薦められて聞きました。それから、バド・パウエルです。アメリカに行ってからはソニー・クラーク、ハービー・ハンコック、マッコイ・タイナーなども聞くようになりました。
サッチモやジョー・ヘンダーソン、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンなどピアノ以外も好きですね。

 

 片倉さんの演奏にはビ・バップのフィールを感じますね。

 そうですか、うれしいですね。特別にビ・バッパーになりたいというわけではありませんが、ビ・バップが好きなんです。
最近、ビ・バップから遠ざかっていたので、また、ブルースを勉強しなおそうと思ってCDを買ったりビ・バップを聞き始めています。

 

 ところで、洗足学園を卒業して、バークリーに行って更にジュリアードと沢山の音楽大学に行ったのは何故ですか。

 数をこなそうとしたのではないですよ。(笑い)なるようになったというのが正直なところです。ジュリアードにはケニー・バロンに是非とも習いたいと思って入学しました。バークリーやジュリアード出身のミュージシャンにはレベルの高い人が多く、その人たちからかなり影響をうけました。それに先生もいいです。少人数で教えてくれというのも良かったです。

ボストンに行った時、ケニー・バロンに「いつかあなたにピアノを習いたいです」と話しかけました。

 たしか、ジュリアードにジャズ科ができたのは最近ですよね。

 はい、開設にはウィントン・マルサリスが尽力したんです。
ウィントンから指導を受けたこともあります。”Music of Wynton Marsalis”というコンサートにビッグバンドのメンバーで出演したのですが、彼の曲を演奏するのですが、練習の時私のピアノのそばに来て1,2曲ですがことあるごとに細かいアドバイスをしてくれました。“雅楽”という曲の時は日本人の私の解釈が正しいと思って弾いていたのですが、駄目だしをされました。(笑い)でも本番の時はいい演奏ができて彼がウィンクしていました。うれしかったですね。

それと、ベニー・ゴルソンが講師の時は、クリフォード・ブラウンが亡くなった時の話をしてくれたり、それは貴重な体験でした。

ケニー・バロンについては、日本にいる時からコピーしたりしていました。ボストンに行った時に彼のバンドを聞きに行ったのですが、私の拙い英語で「いつかあなたにピアノを習いたいです」と彼に話しかけました。その4〜5年後に実現したのですから私はラッキーだと思っています。

 

 米国には何年間いたのですか。ライブ活動は行ったのですか。

 6年間いましたね。でも学生として滞在していましたのでライブ活動はあまり行いませんでしたが ディック・オーツ(As)、ジェリー・バーゴンジー(Sax)、デイブ・サントロ(B)、ドミニク・ファリナッチ(Tp)、ベン・ウォルフ(B)などとセッションをしました。

 

 なぜ日本に帰ってきたのですか。

 学生として恵まれた生活をしていたので一度リセットしようと思い昨年日本に戻りました。 日本でプロの活動を行い、実力を蓄え再びプロのミュージシャンとしてアメリカに行きたいと思っています。

目標としては自然体で毎日の演奏活動を行いながら実力を付けて行く事です。

 今後、どのようなミュージシャンになりたいですか。特に、ピアノは競争が厳しいですが、どのような特色を出していくつもりですか。

 現在、自分のトリオ佐藤“ハチ”恭彦(B)、広瀬潤次(Ds))を持っていますのでこれを大切にしていきたいと思っています。
また、先輩ミュージシャンからメンバーとして誘われることが多いのですが、私はサイドメンとして演奏することも好きなんです。フロントを盛り上げることは常に意識していますね。誰とでも演奏できる能力を持った職人、ミュージシャンズ・ミュージシャンでありたいと思っています。

このアルバムではオリジナルも演奏していますが、作曲より演奏に当面力を入れて行きたいです。
目標としては自然体で毎日の演奏活動を行いながら実力を付けて行く事です。うまくなりたいという気持ちは強いですが他のピアニストと競争していくという考えはないです。
自分らしく行きたいと思っています。

 

 どうもありがとうございました。

−自分の気持ちをありのままに話していただきエピソードも沢山聞かせてもらい楽しいインタビューとなりました。
行動力、チャレンジ精神に感心しました。今後の活躍を期待します。−

(2009.9.10)

 

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