プロフィール

森山良子(ボーカル)

良子が幼いころ、父は朝からFEN放送を聞いていた。常にジャズが流れていた。
森山は今でもポテトチップスが好物。マヨネーズは瓶詰め。良子の母の得意料理はミートローフ。子供のころの森山家のクリスマスにば”七面鳥”と子供たちの大きなプレゼントの箱がお決まりであった。
50年前の日本ではめずらしい”アメリカ的”な生活環境の中で育った良子は父の影響もあり、小さなころから「歌手」になると決めていた。そしていつしか小さなライブハウスでピアノの前で歌う<ジャズシンガー>を夢みた。
鏡の前で英語の歌を見様見まねで唄っていると、 「発音が違う」と部屋に呼ばれ一つの言葉の発音を何時間も何時間も練習させられた。
「父は日本語よりも英語の方が上手だった」と森山はいう。
英語であれ、日本語であれ、 ”美しく発音すること”を父から教えられた。

<歌手生活>
学生時代、仲間とともにカントリーやフォークソングなどを歌っていた。
学生たちが出演するラジオ番組の中で何気なく作った曲「この広い野原いっぱい」で一躍スターとなり、 1967年に歌手デビュー。
”ジャズシンガーになりたい”という彼女の夢とは裏腹にいつしか”フォークの女王”とか”和製ジョーンバエズ”と呼ばれるようになっていった・
海外での活動、国内ツアーは年間100本近く、オリンピックなど大きな舞台での歌唱、華やかな活動の陰で本人の意識としては地味に音楽活動を続けてきたという感が強い。
昨年は34年歌い続けた曲「さとうきび畑」がヒットし、第44回日本レコード大賞では金賞ならびに最優秀歌唱賞と、 「涙そうそう」での作詞賞の3冠を受賞するなど”地道に”歩んできた36年の道は「成功」と呼ぶにふさわしい。
<ジャズシンガーになりたい>
デビュー37年目を迎える今年、森山良子は再び強く自分の「夢」を思い、そして50年の思いをかなえるのは今しかない・・・と確信した。
初めて父の久と一緒にサンフランシスコに訪れたのが1969年。
父がかって好んだ落ち着いた街とは一変し、ヒッピーが華やかな時代であった。
それからまもなく35年が経とうとしている。
良子は心の底に忘れることなく持ち続けた夢をかなえるために、今年の夏ニューヨークにレコーディングに出かけた。
サックスの第一人者マイケル・プレッカーやザ・ヴアンガード・ジャズ・オウストラとのセッションは、刺激的で心地よく、この上なく楽しい時間であったらしくその感激は、しっかりと音にも現れている。
日本のジャズ界のみならず、アメリカにおいても高く評価されるものを目指してジャズ特有の発音をマスターすべく特訓を受けた。
発音指導は、日本人の耳には違いがわからないほどの微妙なニュアンスである。
昔同じように父が英語の発音を細かく指導した、あの時代を彷彿させる光景である。
マイケル・プレッカー、ザ・ヴアンガード・ジャズ・オ-ストラとのセッション曲を含め全12曲入り、初のジャズアルバム「THE JAZZ SINGER」が10月29日に発売、森山良子のジャズシンガーデビューとなる。
年内、国内ライブハウスでの活動予定あり。
来年はニューヨークやサンフランシスコでのライブも計画している。
父久氏が他界して13年。
森山良子のROOTS、ジャズ。夢を見続けて50年。
歌手デビュー37周年の今年、実に69枚目のアルバムにしてようやくかなった願い。
今ここから、熱い思いをこめて「ジャズシンガー」森山良子が始まる。